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唐沢山 宮界標 『 界イ22 』 (宮(御料局) 界イ二二(第貳号) ×)
栃木県佐野市富士町 南城南尾根旧道分岐 (2011.12.23)

唐沢山 宮界標 『 界イ22 』 (宮(御料局) 界イ二二(第廿貳号) ×) 拓本
栃木県佐野市富士町 南城南尾根旧道分岐 (2011.12.23)
「宮」面刻字は、「宮の下に御料局」の刻字が見える。 使いまわし界標のようだと思った。 「御料局」のみ刻字界標も唐沢山御料地にあるのだ。 この界標はなぜ「御料局」の上に「宮」を彫刻したのであろう。 石質は花崗岩であり、彫刻は鮮明である。
番号面の「界イ二二」拓本見ると下に「第廿貳号」が見える。 表裏ともに彫り直ししたのだ。 なぜ彫り直したのだろうか、前の彫刻を完全に消さずに。 大きさは150×150と他の界標と比べるとどっしりと大きい。 各種命題を提示している標石だ。
仮説:宮界標彫刻は、当初「御料局」と彫りその後「宮」に変わり、番号も「第○○号」が「界○○」に変わったと推察される。 唐沢山御料地にはその過程の石が残る。 御料局・第号を彫った「御料局 界第三百七十号」、二重に彫り直した「宮・御料局)
界イ二二・第廿貳号 」、一般に見られる「宮 界一四四」、町田と系統の「宮 界町田二一」、界の無い「宮 町口二〇」と多彩である。 設置場所は、こちら>> |
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唐沢山 宮界標 『 界144 』 (宮 界一四四 安蘇郡 ・都賀郡 ×)
栃木県岩舟町小野寺 市町界尾根 (2011.12.23)


唐沢山 宮界標 『 界144 』 (宮 界一四四 安蘇郡 ・都賀郡 ×)
栃木県岩舟町小野寺 市町界尾根 (2011.12.23)
これまで292m峰ピークにある界標は発見できていなかった。 今回もピークを通過し多田方面の尾根を下る途中まで歩いた。 諏訪岳を見て日光の山々に目を移した。 木枯らしは吹いているが冬の里山は快適だ。 292m峰ピークに戻り諏訪岳への檜林への下降路横に目をやるとなんと「界144」がある。 新確認である前週には加藤氏もここを踏んでいるが発見の報告はなかった。
私も見落とす所でした、「界一四四」「安蘇郡」「・都賀郡」「宮」の刻字を見る。 標石の頭部は欠けているが宮界標を表す「宮」は明瞭だ。 「・都賀郡」の刻字であるが、「下都賀郡」であろうか、文字のバランスから「下都賀郡」と考えられる。 このピークの岩にはしめ縄やお札や酒瓶があるので注意はどうしてもそちらに行くので発見を遅らせたのだろう。 石質は、岩舟石(凝灰岩)の良質な物である。 設置場所は、こちら>> |
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唐沢山 宮界標 『 界144支1 』 (宮 界一四四支一 ×)
栃木県岩舟町小野寺 市町界尾根 (2011.12.23)
「界144支1」の埋設場所は(界144)から僅か下がった所にある。 花崗岩は劣化がなく、標石には一番適した石質のようだ。 尾根道にあって踏まれているのであろうが、痛みはない。 |
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唐沢山 宮界標 『 界144支4 』 (宮 界一四四支四 ×)
栃木県岩舟町小野寺 市町界尾根 (2011.12.23)
「界144」と「界145」鞍部に「界144支4」はある。 (界144)(界145)のピークを巻道がありピークを通る方は少ない。 それぞれのピークが分岐する交差点(道標あり)にあるので「「界144支4」」の確認は容易である。 |
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唐沢山 宮界標 『 界145 』 (宮 界一四五 ×)
栃木県岩舟町小野寺 市町界尾根 (2011.12.23)
2この標石は上部は風化し刻字は薄い、基部まで掘ると「・・四五」は明瞭である。 石質は岩舟石である。 岩舟石は同じ岩舟石でも良質なものと岩石が不規則に混じるものがある。 共に庭石などには良いのだろうが、標石向きではない。 頭部に苔を戴いたものもあるが、刻字を消す風化が進んでいるものが多い。 設置場所は、こちら>> |
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唐沢山 宮界標 『 界429 』 (宮 界四二九 ×) (28)
栃木県佐野市富士町 ゲートボール場と地蔵像の間 2011.12.23
(28)の数字は、遠山氏発表の位置番号
この「界429」は、2011.12.24に詳細な調査をしてのでそれを見てください。 設置場所は、こちら>> |
参考文献
日本測量史・御料局三角点 (上西勝也氏)は、こちら>>
跋渉会・御料局三角点と宮界標 (遠山氏)は、こちら>>
*今回上記文献を参考に探索しました。*
唐沢山宮界標リストは、こちら>>
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