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水準標 球分 『 内務省 』 (内務省 不 BM No30 ・ )
栃木県さくら市押上 水神社 (2012.01.19)
1/19、に水神社「内務省」標石の調査に再度伺いました。
案の定新たな事実が解りました。初期水準点の証である。 「不」文字が刻まれているのを確認しました。
前回の目視と写真ではわかりませんでした。 拓本は採っていませんので断言できませんが、今回はゆっくりと観察しました。
見れば見るほど美品標石です。 上面の縁の面取りを見ると機械加工のようです。 各部の写真を丁寧に撮りました。(写真)上面の球分の完成度も高い。 |

水準標 球分 『 内務省 』 (内務省 不 BM No30 ・ )
栃木県さくら市押上 水神社 (2012.01.19)
初期水準点の証である。「不」文字が刻まれているのを確認しました。 刻字「NO」の上に小さく「不」が見つけました。 この標石設置の頃には、「不」から「BM」に変わる過程であろうか。
標石寸法・刻字面(250×200mm・面取り部含む)、球分(50×20mm)、露出部分(80mm)、上面(210×210mm・面取り部除く)、標石の全長は不明
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水準標 球分 『 内務省 』 (内務省 不 BM No30 ・ )
栃木県さくら市押上 水神社 (2012.01.19)
水準点「内務省」刻字が当時の河川治水事業の所管は内務省であった事を物語っている。 内務省技師の「赤木正雄」は明治東京帝国大学農学部林学科にて砂防を学び、林学出身者ではじめて内務省に就職しました。 鬼怒川、信濃川、木津川、瀬田川、富士川などの治水に携わりました。 赤木は治山治水に植林の有効性を説いたとある。 晩年まで現場主義を貫き晩年まで現地を見たという。 後に参議院議員にもなり「日本砂防の父」と言われた砂防会館に銅像がある。 |
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記念碑 『 天皇御野立之所 』
栃木県下都賀郡壬生町壬生乙 栃木小山分岐高架近傍 (2012.01.17)
いつも通行していた立体交差の側道の少し先に碑が見えた。 付近に人家は無い田んぼの端に誇らしげにしている。 「天皇御野立之所」との刻字である。 裏面には「明治四十年十一月十五日
」とある。 身近なところで今まで気付かずにいた。 県内各所に沢山ある御野立之所であるが、壬生にあるとは気付かなかった。 この碑があるということは、明治天皇が来られたということである。 栃木では陸軍特別大演習が明治、大正、昭和と何度も行われ都度、天皇陛下が御行幸されたことのようだ。
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鹿沼御料地 『 御料地払下記念碑 』
栃木県鹿沼市千渡(旧菊澤村) 鹿沼街道傍 (2012.01.17)
「大正十年 払下面積 六拾五町貮反八畝拾貮歩」と碑の裏面にある。 碑は鹿沼市内千渡の鹿沼街道沿いにある。 千渡地区は鹿沼の東部の大きな地区で御料地の範囲は見当もつかない。 先日調査の鹿沼街道に沿った隣接の宇都宮市下荒針地区の河内郡御料地と同じような「御料地払下記念碑」である。
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