野鳥 青面金剛 愛犬なな 桐生100` 




2012年-report-56.

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『街区多角点 都市再生街区基本調査 鹿沼市09205 公共+No.10A37 国土交通省』
栃木県鹿沼市東町1-5 県道4号交差点内 (2012.01.29)

宮界標調査で「猪土手」と呼ばれた市道を、北のこばと幼稚園から南下すると県道5号線交差点に出る。 この交差点内に金属標が二つる。 写真の他に金属標『土地計画道路基準点 四級 + No.3・4 202(15) 鹿沼市』がある。






上都賀郡内宮界標 ・鹿沼茂呂・千渡調査

栃木県鹿沼市千渡1605付近  (2012.01.29)

東北高速道・鹿沼インターから鹿沼市内に向かい、緑町3丁目交差点を右折するとJR日光線の高架橋越えた所が写真の付近だ。 まだ一部畑地が残るが大部分は修宅地となっている。 当時からすると道も拡幅されたようでコンクリート製杭が目立つ。 写真は住宅のない所を選んで撮影したが、周辺は新しい住宅がぎっしりと立ち並んでいる。 昔の道筋は残るが宮界標があるような感じはしない。






上都賀郡内宮界標 ・鹿沼茂呂・千渡調査
栃木県鹿沼市東町1 猪土手 (2012.01.29)

大字茂呂(現:東町1)の宮界標探索である。 一段高くなっているのが黒川に沿った河岸段丘で、上野町墓地付近のこばと幼稚園から南に伸びる丘が猪土手でこの土手が御料地だったと思われる。 写真の擁護壁は当時は無く、もう少しなだらかなスロープの土手といった感じだったという。 その縁に宮界標があったと思われる。 左手のビニルハウスの方の話では、住居建築のおり杭が有った記憶があると言うが今は無い。 このよう壁は戦後の昭和になって作られたと聞いた。 撮影位置付近東方向も同じく擁護壁が作られ宮界標設置当時は感じられない。






上都賀郡内宮界標 『 宮 』(裏面確認出来ず)
栃木県鹿沼市東町3  (2012.01.29)

自販機裏のブロック基部に「宮界標」を確認した。 道路側に「宮」が見える。 隣の工場との境界にある標石だ。 発見したのは、鹿沼市在住の加藤氏であった。 加藤氏は宮界標には造詣もあって、県内の御料地の宮界標を多数見ている実績を持つ。 本日現在、この宮界標の標石一基のみの確認だけである。






上の宮界標を大きなサイズでの撮影写真

旧宮内省の「宮」マークがはっきりと彫刻された界標である。 石質は花崗岩、全体の面仕上げは滑らかではない。 風化によるものではないようだ。 上面周囲には傷がある、満身創痍で激動の明治大正昭和そして平成まで100年以上生き延びてきた。 この地が御料地であった唯一の現地に残る物証で現ある。

裏面はブロック塀の基礎部に当っているので確認できない。 きっと「界○○○」と彫刻されているであろう。 鹿沼市内の貴重な宮界標は偶然に確認された、大事にしたい貴重な標石である。


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