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2012年-report-77.

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鬼怒川改修工事 内務省基標 調査 】







『 鬼怒川水系水準点と記した標示柱 』 鬼怒川左岸
茨城県筑西市下江連 稲荷神社 (2012.04.08、04.22、04.24)

鬼怒川改修工事 内務省基標を記した標柱 『 鬼怒川水系水準点 BM NO.18 内務省 キヌ 』と記した標示柱。 NO.18とNO.21の間の基標を調査していた。 筑西市下江連 稲荷神社に標示柱があった。

標示柱は誤記入ではないかの疑問があった?。 4.22に神社の氏子総代さん宅訪問し標石の所在と標示柱設置の経緯を聞いた。 話の中で標示柱設置者の書した書籍がある事が判明したので、結城市図書館、八千代町図書館で確認する。 「きぬの流れ」書(著者塚原氏)に基標の写真が掲載されていた。

基標は「No.20」であった。 予測通りであった。 書には船玉神社のNO.18も記してあったので、単にそれを間違って記したのだろうと思われる。 刻字「不」几号の事は無かったので標石の写真を撮影しただけだったようだ。

著者の塚原氏は戦前に測図の経験を持っていた、測図成績で褒められた事があったので地理関係者だった。 また、付近の三角点を書した表もあった。 その事から近傍の「図等三角点」の標高を基標の標示柱に記したと思われる。



鬼怒川改修工事 内務省界標 『 内お68 』】



内務省界標 『 内お68 』 鬼怒川左岸
栃木・真岡市中 鬼怒川ゴルフ場付近 (2012.04.07)




鬼怒川改修工事 内務省界標 『 内お35 』 『 内お3X 』 『 内お3X 』



内務省界標 『 内お35 』 『 内お3X 』 『 内お3X 』 鬼怒川左岸
栃木・真岡市大沼 旧河岸大沼渡船場跡 川の駅付近 (2012.04.08)

栃木県真岡市と上三川町を結ぶ街道を鬼怒川が分断していた。 当時、真岡市側に河岸があった。 河岸と大沼渡船場があり栄えていたようだ。 上三川町の道路元標には「東 至大沼渡船場」とある。

現在は堤防上に旧河岸大沼渡船場跡碑がある。 その周囲に界標「内お35」がある。



【鬼怒川改修工事 内務省基標 『 不 BM NO.23 ・ 内務省 鬼怒川 』】











鬼怒川改修 内務省基標 『 不 BM NO.23 ・ 内務省 鬼怒川 』 鬼怒川左岸
栃木県真岡市中 星宮神社 北中里集会所 (2012.04.08)


NO.23の探索には時間が掛かった。 見当をつけていた所にはなく漸く星宮神社の物置裏に見た。 これで周辺の基標は全て見つかった。



鬼怒川改修 栃木縣基標 『 柳林基標 栃木縣



鬼怒川改修 栃木縣基標 『 柳林基標 栃木縣 鬼怒川左岸
栃木県真岡市柳林 柳林稲荷神社 (2012.04.08)


鬼怒川改修工事 内務省基標調査に真岡市柳林に来て見当つけていた稲荷社にあった。 同社には栃木縣設置の「柳林基標」もあった。

柳林には以前三角点調査で何度も足を運んだ。 結局最近小学校に移転設置されたが、柳林の旧三角点標石は不明で終わってしまった。 何度も探索したがその時は稲荷社までは来なかった。 ここからは鬼怒川堤防まで300mであろう。



鬼怒川改修 栃木縣基標 『 下籠谷基標 栃木縣 量水基標

真岡市石法寺 鬼怒川改修 栃木縣基標 『 ◎ 下籠谷基標 栃木縣 』 鬼怒川左岸 神明宮 確認拓本 (12.04.08)







鬼怒川改修 栃木縣基標 『 下籠谷基標 栃木縣 鬼怒川左岸
栃木県真岡市下籠谷 神明宮 (2012.04.08)


以前はこの地区を石法寺(いしほうじ)と呼んでいた。 各地に残る道標や道しるべにも石法寺と刻んである。 基標NO.25のある石法寺神明宮に二回目の調査時に社裏で見つけた。 地名由来の石法寺は廃寺となり今は無い、道の反対側の観音堂北の山林にあったと聞く。(神明宮北側の隣家の方に聞く。)



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