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2012年-report-86.

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鬼怒川改修工事 内務省基標 『 不 BM NO.19 鬼怒川 内務省 ◎球分 』 】



鬼怒川改修工事 内務省基標 『不 BM NO.19 鬼怒川 内務省』 鬼怒川左岸
茨城県筑西市小川 小川薬師堂


 鬼怒川改修工事 内務省基標 『BM NO.19』の調査は、この付近で確認出来ずにいる最後の標石である。 鬼怒川改修事務所のあった筑西市伊佐山や小川の富士浅間神社付近に何度も調査に出掛け探索した。 今回どうしても小川が気になって再び調査した。 小川集落北の富士浅間神社はない。 集落の中心交差点角にある小川薬師堂を再訪した。 今回も境内は整然しているが樹木の剪定がしてあった。 記念碑傍になんと上面が3cm程出した基標がモチノ木と隣家との境付近にあった。 今まで気付かなかったのが不思議な感じだ、見つけてしまえば今まで探し回った事が嘘のようだ。

 この標石は他の基標と別な意味がある。 今までに見つかっている「キヌ、NO.18」「鬼怒川、NO.20」の間の「NO.19」で測量員詰所管轄の境界と思われるからである。 「NO.19」の刻字「キヌ」「鬼怒川」どちらのなのであろうかだった。 つい先日まで「NO.20」も完全埋没していて二基連続で刻字が不明だったのである。 今回それが解明できた。



直轄工事 鬼怒川改修工事とは、 】

 栃木県北部から利根川合流までの流域は有史以来暴れ川に翻弄されていた。 明治政府は全国の河川改修工事を直轄工事として利根川改修工事を開始した。 明治43(1910)年の関東全域を襲った災害は利根川や鬼怒川初め周辺河川は氾濫した。 すでに改修工事の施工を進めていた利根川改修工事計画をを改訂し大正15(1926)年に鬼怒川改修工事を策定しました。

 鬼怒川改修工事の測量を大正15(1926)年に茨城県結城郡宗道村(現・茨城県下妻市宗道)と栃木県河内郡本郷村(現・栃木県河内郡上三川町本郷)に測量員詰所を置き工事測量を開始しました。 改修工事の基準となる「水準基標」標石を設置した。 基標刻字の「キヌ」と「鬼怒川」の二種類あるのは、二つの測量詰所による違いと考えられる。 翌年の昭和2(1927)年に鬼怒川改修工事事務所を伊佐山(現・筑西市伊佐山)に設置し本格的に改修工事を開始しました。 さらに翌年の昭和3(1928)年最初に宗道村付近の蛇行部を改修する鎌庭捷水路(かまにわしょうすいろ)の開削に着工しました。 昭和10(1935)年3月鎌庭捷水路に通水されこの部分は竣工しました。


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