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2012年-report-88.

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旧安積疏水取水口 『 水量基点 』



旧安積疏水取水口 『 水量基点 』 標石 (12.06.17. or 6.27)
福島・猪苗代町上戸


安積疎水「水量基点」標石は、猪苗代湖からの取水水量基準であります。 この標石は旧取水口下部の用水路脇にあります。 当時の設置場所から移動した可能性があります。 碑の周囲をコンクリート柵、基部もコンクリートで固められています。 第一回調査 2012.6.11です。 その際は刻字面が接地し下部の確認ができませんでした。 第2回目調査では接地部の確認が出来ました。 2012.6.27に再調査しました。

安積地方の開拓には水を引くため安積疎水事業には猪苗代湖の水制問題を解決する必要がありました。
 従来、猪苗代湖の水は、湖の西側から日橋川(にっぱしがわ)へ流れ出て、会津地方を潤していました。 安積疏水の計画が持ち上がると、疏水によって猪苗代湖の水位が低下し、日橋川側で水不足が起こることを懸念した会津地方の人々から、計画の中止を求める声が上がりました。 そのため日橋川側を掘り下げ十六橋水門を作り制水しました。 

                                    調査日 2012.6.27
水 量 基 点 安積疎水猪苗代湖水量標ハ
是ヨリ百二十四度ニ当リ二十一間四
分ノ掘割南側ニシテ本標頭ヨリ低
下四尺三寸二分ヲ以テ三尺八寸ノ定
水位トス
此基点ハ農商務省建設
ノ水量ノ変動スルヲ恐レ之
ヲ建者也 明治二十七年十一月十日










上部は方形(7cm四角)面となっている。 上面角は丸く面取りあり。
上面角から線状の辺面が合わさっている。 




直轄工事 安積疎水とは、】

明治維新、戊辰戦争が終わった頃は多くの士族が失業し生活に困窮の救済するための士族授産、食糧増産により富国強兵を国策とするため明治政府は、安積原野を開拓する安積原野開墾事業です。 この開墾事業を成功させるため、猪苗代湖水を、奥羽山脈を貫き安積原野に導く猪苗代湖疏水事業が明治12年(1879年)に着工され、沼上隧道や用水路は3年後に完成しました。 安積開拓および安積疏水事業はわが国の初の直轄事業として施行した。 安積疏水は、ファン・ドールン(オランダ人技師)によって基本設計が行われました。


《 出 典 》
安積疎水・安積原開拓資料 : 財)国土技術研究センターのページは、 こちら>>
 上西勝也氏 『日本の測量史』は、 こちら>>


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