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2012年-report-89.

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多宝山 『天測点』



左中央三角点標石先の黒い四角なものが「天測点」





多宝山 『 天測点 地理調査所 』  (12.06.18)
新潟・弥彦村 多宝山山頂





『 天測点 地理調査所 』側面、『 (+) 』上面 プレート

多宝山山頂には気象庁の観測所の建物があります。 最高点付近に一等三角点「弥彦山」標石があります。 木標(柱)、ベンチ、少し離れた所にコンクリート製の四角な構築物があります。 それが天測点プレートが付いている観測機器台です。

天文測量における経緯度観測は、当初は測地原点を決定する際あるいは、離島などの測地網から独立した地域での位置確定の時に実施された。そのような測量を経て測地網が完成した後には、主に網の校正のため天文測量が実施されました。 星(恒星)を観測して座標(経度、緯度)を決める測量(天文測量)に使用した天測点は、昭和26年から昭和33年の5年間で全国に48点を設置した(その後一部廃点)。設置された当時の観測機器はカールバンベルヒ製70mm子午儀で大変に重く、観測台が必要であった。  

そのため、観測台を定点に予め設置して置きました。 昭和32年に機器の改良により軽量のアストロラーベが開発され、昭和34年以降は天測点(置台)は設置はせずに約450点の三角点上で天文測量を実施した。 天測点の形状は以下のように規定されていた。 しかし、天測点観測は正確でなく現在では行われなくなりました。


現在のような正確な計測が出来る以前は、天体観測により大海原を航海していました。 地球の大海原で自分の位置を測って目的地へ向かいました。 今考えると丸い地球で大陸間を越えるとは冒険といえるでしょう。 また、伊能忠敬の測量にも天測技術を利用していました。



一等三角点 『弥彦山』 】



一等三角点 『 弥彦山 』  (12.06.18)
新潟・弥彦村 多宝山山頂 633.8m


多宝山山頂にあるが一等三角点「弥彦山」である。 明治8年に内務省地理寮が「関八州大三角測量」開始し、明治11年に内務省地理局が「関八州大三角測量」を「全國三角測量」に改称し全国の三角測量が開始しました。 明治15年には関東から信越、中部まで広げ約100ヶ所に三角点の選点がおわり半数が測量されたようです。 一等三角点「弥彦山」は当時の「内務省地理局」選定埋石の三角点です。 同時期設置の柏崎市にある一等三角点「米山」と同じです。 米山には当時設置の方錐形の標石が現在もありますが、多宝山にはその標石はありません。 現在ある一等三角点「弥彦山」はその後に陸地測量部により設置された標石です。 

点名「弥彦山」はこの一帯を指す呼称ですが、隣のピーク(標高634m)には、越後一ノ宮・弥彦神社があります。 近年その弥彦山の標高がスカイツリーと同じということで上られる方が増えたとのことです。 そちらにはケーブルカーがあります。 多宝山はすばらしいロケーションの山で日本海に壁のように聳え立ち、佐渡島や新潟平野が一望できます。



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