
山部薮人は、どんな人?
05.01.01/05.4.26 一部、加入更新 05.05.18一部、加入更新 05.08.26 メルアド変更
06.08.09一部、追加&変更、 07.02.05追加&変更
07.08.15一部、追加&変更
07.09.07一部写真変更 07.10.18一部加入更新 08.10.04一部加入更新 09.01.24一部加入更新
09.04.16一部加入更新 09.05.20一部加入更新 09.11.01一部加入更新
10.06.09一部加入更新
10.11.01一部加入更新 11.11.08一部加入更新 12.02.17一部加入更新 12.12.17一部加入更新
まず写真をご覧ください。

最愛の「なな」 2002.12 |

庭の中央花壇 2005.05 |

雪の小山ゴルフ場N0.13 2003.12 |

ゼラニューム 2006.05 |

離れでブラックベリー栽培 2004.08 |

離れた所にも花壇あり 2006.09 |

笑顔のななと孫 2003.06 |

七五三 2006.11 |

孫と一緒 2005.05 |

2004年初歩き 葛老山 2004.01 |

半月山 2004.09、妻とハイキング |

これは息子(渡良瀬フル 3h25m) |

成田空港にて 2010.11 |

自宅にて、この後ロンドンへ 2010.11 |
我が家の花作りの花のページは こちら>>です。
略歴
山歩きよちよち歩き
1人で山へ行ったのは中学生の時、岩舟山〜大平山を歩いた。
高校生の時、小山市民カメラ講座で岩舟山に撮影会に行った際に山に登ってみたいと思った。
東京に居た頃、ワンゲル部で重いキスリングを背負ってメジャーな山を歩いた。
地元栃木に戻ってからは山は忘れて仕事に没頭した。(本当かな)
再び頂きへのきっかけ
妻とのドライブ旅行で糸魚川から長野に入って、北アルプスの山々に再会し、再び山歩きが沸々と。
その後、白根山、男体山、皇海山、など栃木の山を主に歩くようになる。
 |
 |
北ア、槍の夜明け 2000.09 |
越後の本谷山 2005.09 |
山行動する時の好きな言葉
『 人が自然に対する時は、その勘(感)が大切なんだよ 』 小島烏水
『 人は何をしたかではなく、何のためにしたかが大事である 』 柴崎芳太郎
『 薮山でルートを失った時には、獣目線でルートを探せ 』 山部薮人
薮で突然獣道が消えたら、しゃがむなど獣目線でルートを探してみよう、
栃木の山の魅力
白根山>>
奥白根山の山頂に立つと360゜眺望は最高。
座禅山、五色山、前白根山、白根隠山、白檜山などが周囲を取り巻く、
それらは外輪山と違うようでそれぞれが白根山と別に形成されたようだ。
五色沼は火口湖で表情が変わる絵になる湖だ。冬は全面氷結する。
火山が栃木に多くの山々を作った。周辺には温泉も多く楽しめる。
白根山など近年騒がしくなってきたもう少し静かになるのを待とう。
足尾、日光、那須、高原山、栗山、帝釈山地など栃木には良山が多い。
静山は自然を感じる贅沢なひとときがある。そのために山に向う。
栃木の山の検索はこちら>>です。
地理院2.5万分1地形図に山名記載の山、栃木283全山を目指した
書店の山コーナーで、本を手に取った、「栃木273山」著者は倉持裕至氏・白山書房
副題は、「女房殿と歩いたリハビリ山日記」である。だれにでも全山登頂出来そうな名前の本であった。
山の数など考えた事はなかった。この本で地元栃木の山を意識し始めた。
著書の登山ルートは詳しい訳でもない。歩いて見ると登頂意欲に撹き立てられました。
当初は県南の里山から歩いた。踏跡のない薮山が多く地図は必須て゜ある。
薮山では植林地の作業道、けもの道、薮の薄い所を拾うように歩くようになりました。
山頂へのルートが明瞭でない山では地図にて、沢、薮尾根を考えながら歩きました。
県南の低山で読図と感を養い、深山をめざして行き続けました。
失敗談も多くあります。 下山で尾根を違えて反対側へ下ってしまった。
運良く渓流釣りの方に20KMも送って頂いた事などもありました。
今は懐の深い栃木の山の魅力に、また薮山へ誘い込まれております。
これからも栃木の山をゆっくりと歩いて見ようと考えています。
HP表題「栃木の山283+」(山の数は当時地理院1/2.5万分地形図の山名)
・「山部薮人・なな、地形図名の山、全山登頂」を副題としました。
H15.5.11 スタートし、 一区切りの 残100山 達成
白根山の南方にある錫ヶ岳>>まで「なな」と歩いた。 鹿が跳ねる大自然の中12時間の歩きだった。
283山+を目指し、錫ヶ岳で残りの区切りなった。
H16.08.28 残り 10山に
273山歩きました。あと10山となりました。
今年は雪が少なく、夏も暑そうですが淡々と歩いています。

栗山ダムから大日向山 |

小佐飛山から長者岳へ |

「なな」と一緒に |
H16.12.11 地形図の山名記載、283全山、完了する。
283全山最終は足尾、日光、群馬県境の三俣山(旧名ミカサ山)
本格的な降雪の前だった。ノラさん Satoさんと3人で深夜雪を踏んで三俣山へ こちら>>
応援に、烏ヶ森さんも暗い中を歩かれた。 大平山へは群馬から応援に。
栃木の山歩きでの大きな収穫は、多くの方と知り合えた事です。
遠くの山に行かなくても、栃木の山の深みに充分満足している。
一生かかっても栃木の山は、知りえない大きな懐がある。

ルート上にある黒桧岳は真夜中 |

三俣山山頂にて |

戻りは宿堂坊、西ノ湖経由で |
地図測量の黎明期、我ヶ国最高所の水準点標石を発見

『 徳二四号 』水準点
この標石は設置から 100年経過し存在を忘れらていた。
2007.08.11 奥鬼怒川俣と会津桧枝岐を結ぶ古道『引馬峠』で 発見。
当時日本最高所( 1896.6m )に設置された標石でもあります。
引馬峠水準点・徳号水準路線のページはこちら>>
現在は、『 何のために歩く、』
栃木の山を歩くうちに、いつしか薮の中にいた事が多くなった。
そんな山歩きが日常になった。 薮山歩きが多い、
チシマザサ薮かシャクナゲのジャングル薮で鹿や熊と共生している事になる。
獣・鹿道を我が道と思い歩き、その中で日光では山部発表の
ルートが定着した。 (錫ヶ岳県境 - 赤岩滝入口の山部ルートがある。)
現在、地形図と現況との違いを現地で確認、ギャップを見抜く勘を鍛錬。
それでも栃木の山のほんの一部、栃木の山の懐は深いしばらくは栃木の山中に。
標石探索には、
現在の活動は、『 栃木の地形の細部と、』、『 埋もれた(忘れられた)標石
』の確認と保存
@ 栃木県内の全三角点(約1750点)の確認
A 御料局三角点及び宮界標の調査 (明治〜戦前・宮内省期の御料地界標の調査)
B 足尾庚申山丁石(丁目石)と古道ルート調査
C 晃石山設置の内務省地理局「原三角測点」探索調査
D 標石・地図と測量史の調査 (日本標石保存協会・標石G活動)
* 主に東京塩竈間高低測量の探索調査及び先の3.11震災の影響調査 *
E 明治期測量の「徳号二等水準路線」など冠字二等水準路線の調査
F明治・大正・昭和初期(戦前)の「河川改修標石」の調査
などを重点に探索活動中です。
3D山名板とは、
山頂に山名板を取付けた時があった。 誰も居ない山頂で標石などが見つからない心細い時、
山名板を見て山頂到着の感激したものです。 登った方と感激を共有しようと付ける事にしました。
一方同じ山に何枚もいらないとも思っています。山頂を示す物が事前に有るのが、解っている時は取付しません。
山頂で見た時は、3D山名板プレートをバックに写真でも撮ってください。
一部の方で山頂標識は全ていらないとの向きもあろう、まあ一種のアクセサリー程度で他意はないと思ってほしい。
那塩道路のように多額の公金を使っているものでないので。
今までに、トタン白地に赤文字のKAさん、小さな木切れのR&Kさん、カワスミさん、
KUMOさん、黒羽山の会、そしてM大、達筆など、年代物の名物プレートもありました。
登頂のつどゴミ拾いと不要マーク外しと、合わせて山名板の状況を見ています。
○○山岳会縦走、登頂記念・・・とのプレートを見かけます、
何枚もの山名板を見ると、こんなにいらないと思うこともあります。
最近山のぺージでこの「3D山名板」を見たとの記事が載るようになりました。
山名板も朽ち果てた物、風雨風雪で字の消えた物 壊れた物などが多いようです。
当時、どんな材料で作るのが自然にやさしいのか考え金属、化成品は止めました。
自然に戻れる木製としました。この山名板が朽ち果てた頃には山ブームも去って
山歩きをする人も減り山名板が不要になるかもしれない。時の経過で自然に帰って行くだろう。
取り付け方について、木々に針金できつく縛ると木の生長で木の幹に食い込みます。
見るからに痛々しい、植物にどれだけの影響があるかは不明ですが。
少なくとも2,30年の成長でも木々の幹を締め付ける事が無いように
充分に余裕を持たせて取り付けをしています。もし見かけてきつそうでしたら緩めてやってください。
縦150×厚さ45×長さ300〜600 角材に山名を彫り込み着色した。
地色/コゲ茶 文字/白
写真 「不動岳」佐野市
一球斎のゴルフ
20才の頃始める(初スコア128) その後一時夢中になった時もあったがバブル後は山に足を向けた。
所属のロイヤルメドウゴルフクラブで「知事杯」優勝でプレートに文字を刻んで頂いています。
2002年は約10回ぐらいコース行った。 2004年は、6月に一度だけプレーしました。(85)
2005年は、4/15 直前の練習のみで、大洗ゴルフ倶楽部(茨城・設計井上誠一)でプレーしました。(88)
この頃は年に5,6回程度コースへ出かけました。
2006年は、シングルの目標を立ててコースへ通いました。
この年1/8 にはロイヤルメドウの月例会Aクラスで優勝しました。(84 ・ HD14)、ハンデに助けられて、、。
2006年は、12/8 にも月例会Aクラスで優勝しました。(79・ HD12)でまたも優勝で、
2007年1月にハンデ10の連絡がクラブからありました。
小山GCで、5月に「長野のホテル宿泊招待」、6月に「新ペリア2位」になりました。まだまだ運(ツキ)は尽きてない。
2008/9小山GCからハンデ12の通知がきました。
2008年7月から60の手習い、広瀬プロについて基本から指導を受ける。
一皮むいたスイングに改造中、考え方も初心に戻って基本を学ぶ。まだまだ進化中で期待しています。
ゴルフのページはこちら>>
ゴルフの実力は付き合い程度はありますが、まだ納得していません。
2008年8月からプロについて基本から猛特訓中、
2009年1月小山GC新年杯にて優勝、ハンデ(12H)に助けられかも、今年は念願のシングルになれるかも?。

優勝プレート 月例会優勝記念ピンバッチ
今年は山歩き、標石調査に忙しくゴルフはぶっつけ本番のコンペのみでプレーは少なめてす。
10月に業界商社のコンペで新ぺリアで三位で賞品をいただきました。
2010年は、10/20. 小山GC NTT小山地区ユーザーコンペで準優勝(39 43 82)でした。
最近クラブを持つ機会が減った、そろそろゴルフ人生最後のモガキを始めようか。
ランニングなどの履歴
昔の事になりました。
写真は、1995.08秋田でトライアスロンに参加の時(左端)
5K、10K、ハーフ、フルマラソン、MTBレース、デュアスロン、に参加する。
2002年から片品ネイチャースポーツ選手権大会(ゴルフ,マラソン,スキー)に参加している。
(2回出場)その後この大会は中止になってしまった。この記事はこちら>>です。
2003年の桐生100Kウォーク24hに初参加する(毎年5月末開催)
(足尾通洞駅で一緒の参加者に付き合った形でリタイヤした。
2003年のつくばのフルマラソンに参加、完走はしたものの限界を感じた。
2004年の桐生100Kウォーク24hにも参加しましたが、また足尾で敗退した。
(この年はギックリ腰でリタイヤする、言い訳になるが)
2005年の桐生100Kウォーク24hにも参加、ようやく完歩できました。(余裕でした、三度目の正直)
それから毎年参加しました。 桐生の皆さんは暖かい、良い大会です。
2008年、白根山トレイルランに参戦すれど回りは若い人たちだけになってきた。
桐生100Kウォーク24hのページは、こちら>>です。
最近の楽しみ・活動模様
栃木県内の「道路元標」を求めて176ヶ所まわり終えて次へのステップへ、
県内を歩いていると明治大正昭和初期の激動の時代の
「青年団の指道標」を探る、当時の青年団活動に思いを巡らす。
各地の図書館や現地へと休日は道標、山、ゴルフ、庭いじり、、、とタイトな毎日です。
夜は近くの思川温泉や日帰り温泉へで北斗星を眺めながら癒しています。
隣町の下野市の下野薬師寺ボランティア講座を受講し、天平の甍と下野古麻呂の勉強会、
2009.3 講座終了、下野薬師寺ボランティアの会に参加する。
栃木県内で進めてきた国土地理院の「栃木の全三角点標石」約1750点現地確認も最終局面に入る。
2009.10 (財)日本地図センターのマップリーダーになりました。
以前から野鳥観察をしていましたが、時々探鳥会に参加。(日本野鳥会会員になって20年を過ぎた)
晃石山の明治政府内務省の標石を探索しています。 また、日本測量標石保存協会の活動に参加しています。
2010.5 から、つくば100キロウォーク大会創設、代表として参加する。(今年で第三回大会となる。)
2011.3 発生の東日本大震災のボランテァ活動に参加する。歴史的測量標石の震災の影響調査に従事する。
2012.11.23〜25 「地図測量・標石拓本展」を開催する。(小山市文化センターギャラリー)

現在、「晃石山の関八州大三角測量標石」 「宮界標と御料局三角点標石」
「庚申山丁石と古道」「日光修験・修験者の道」 「青面金剛像や石仏」、
「御料地標石」「河川改修標石」「山林局標石」「旧省庁標石」「日和山と方角石の探索」
河川改修工事標石調査、2012.10鬼怒川改修工事BM標石の調査終了
「栃木の全三角点」など志多く探索を続けている。
茨城県つくば市周辺において第一回の長距離ウォーキング大会を立ち上げ、
2010.5.29-30、『第一回2010 つくば80キロウォーク大会』を無事故で完了した。
『第二回2011 つくば100キロウォーク大会』震災・原発事故など問題の中も無事完了しました。
大会参加者と共に実行委員会主催の現地ボランティア活動を行った。
『第三回2012 つくば100キロウォーク大会』竜巻発生もありましたが、無事完了しました。
第三回終了後、大会実行委員会代表を退き、一兵卒として今後も運営を手伝うことにする。
ホームページ公開のきっかけ
だれかに見てもらいたいというほどの積極的な情報発信の意欲もない。
HP自体が自己満足の備忘録。
他の方の山行報告や情報を見せていただいたので「お返し」の公開です。
もっと立派な報告が出来るとよいのですが、、、この程度でご容赦を。
出版書籍や新聞記事、報道関係
山の本(白山書房)などに原稿を送り幾つかの山を紹介した。
白山書房は、こちら>>
引馬峠水準点発見のニュースは、
読売新聞 栃木版(2007.8.17)、読売新聞 福島版(2007.8.21) 、下野新聞(2007.9.14)
山岳誌「岳人」 、「山と渓谷」 各10月号 、 「山の本」 秋号 に掲載された。こちら>>
その後「岳人」11月号、 「山と渓谷」11月号 (山部薮人の人物紹介)
の記事が掲載される。
タキイ種苗「園芸新知識 2005.11号 私の花作り体験記」
庭作りの記事が掲載されました。こちら>>
タキイ種苗「園芸新知識 2009. 6号 はなとやさい ガーデニングフォーラム」
モモイロツキミソウの記事が掲載されました。こちら>>
010.2.17.にテレビおやまの取材収録がありました。
2/22〜2/28の一週間市内のケーブルテレビで放映される。
2010.05.22.に茨城放送にて、つくばウォークの事前取材を受ける、
5.29に茨城・栃木放送で「つくば80キロウォーク」が放送されました。
下野新聞(2012.11.23)「地図測量・標石拓本展」開催の記事が掲載される。
名前と家族
山部 薮人 ( 中村 宏 )、 ゴルフは一時休眠状態 (一球斎)
栃木県小山市在住 同居家族 妻 + なな(犬)
娘家族は、2010/11 からロンドンへ 孫2人は現地校へ入る。
そして2012/8 ドイツ・ハンブルグへ転居 孫は転校、大きく成長。
息子は結婚、2011/春 玉のような男子誕生
今は、こちらの孫も早、1歳半に良く動く、食べる、寝る。
トップページに戻る こちら>>

