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瀬戸合、萱峠の明治期の「徳一七號」水準点
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「徳一七號」水準点 明治41年(1908) 陸地測量部設置 (2007.09.02山部撮影)
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【「徳17号」の諸元】 (2007.09.02山部確認、立会い人:なし)
標高 1,084.8m (地形図記載の数値) 、1084.684m (点の記の数値)
寸法 118mm ×120mm上面(側面計測では125mm角) 長さ 地表部より 280mm
刻字 前面 「二等水準點」 後面 「徳一七號」(虎号である) 側面 記載なし (いづれも縦書き) 形状 角柱 上面に球分体がない
角が丸みの形状
緯経度 36°52′31.0″139°31′03.8″ (GARMIN社製 GPSmap 60CSにより計測) 材質 花崗岩
【現地のようす】
標石の上角に一部小傷あり、一部に苔が付着する。(状態:良好)
道側に正面が南向、刻字面「二等水準點」が南向。
防護石は無い。 周囲はミヤコザサの笹原の樹林でやや暗い。 現在はテレビケーブルが落ち地を這っていた。
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GPS計測緯度経度 36°52′31.0″ 139°31′03.8″ 計測標高 1082m (1084.8m地形図値)
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苔を外すと「徳一七號」が読み取れた。 寸法計測 上面118×120mm
下部125mm
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【瀬戸合権現・萱峠水準点・徳17號二等水準點】 .
檜枝岐村から引馬峠(*2)を越え川俣村から日光へは萱峠を越え野門から富士見峠を越える道がある。 今市へは東進して日陰(青柳)から大笹峠を越えて小百、今市へ通じていた。 もう一つは上栗山から大笹尾・大笹峠(*1)へ直接進み日陰からの道と大笹尾・大笹峠合流する。
川俣と野門の間に鬼怒川流域で一番の急峻な峡谷があって谷の縁を通過は出来ない。 瀬戸合と呼ばれる峡谷を囲む山々は岩肌を露わにしている。 瀬戸合峡の北側は日加倉山の峰々で鬼怒川に面した岩場は急峻である。 その対岸も日光連山の太郎山から北に延びる派生尾根で大事沢と熊野沢に挟まれる尾根である。 この尾根の先端の鞍部に峠道がある。 峠を萱峠と呼ぶ、峠には瀬戸合権現の社があり今も里人の信仰を集めている。
萱峠には大笹尾、上栗山や引馬峠と同じ明治の水準点がある。 ミヤコザサの中で旅人を見続けて一世紀、今も健在である。 ここに水準点が確認できた事で今市から県境を越え桧枝岐への道筋が見えてきた。
*1 大笹峠:標高1037m 大笹尾・大笹峠の旧管理小屋(現:大笹牧場第三駐車場)付近の峠、
付近に水場もある。
*2 引馬峠:標高1895.6m 福島栃木県境の峠、昔は無人交易小屋があったと言う。
引馬峠には、当時の日本最高所水準点があった。 |
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【瀬戸合権現・萱峠水準点へのルート】 .
瀬戸合権現・萱峠水準点へは瀬戸合トンネル川俣口を瀬戸合見晴台への旧県道を200m進むと、瀬戸合権現の木柱が現在の歩経路入口です。 道は今も踏跡がしっかりしているのは瀬戸合権現参拝のものであろう。 トンネル完成前はもう少し西に古道入口があったが、瀬戸合トンネル建設により現在の位置に変わった。 10分もしないで萱峠に着く、標高は低いのでミズナラなどが主体で一部ダテカンバも混じる。 下草は薄く峠はミヤコザサの笹原の樹林の中である。 |
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瀬戸合権現は萱峠からの小尾根の突端にある 墨書の入口の柱 |
【当時萱峠歩いた、茅葺職人の話】 .
檜枝岐を出発すると初日は川俣集落で泊りとなる。 次の日は川俣から瀬戸合権現のある萱峠を越え今市や日向、日陰方面に歩いて通った。 茅葺職人達は水準點線路通りに歩いたのではなく仕事先へ向ったので、その時々によってで固定した道順は川俣までであったという。 同峠を越えると上栗山を通って今市へ行くことより日陰を通って川治藤原方面に方だった。 川俣集落は現在の集落より下方(旧集落は川俣ダムの湖底に沈んだ)にあった。 萱峠集落は同峠から野門方面に進んだ所にある。 川俣を発った茅葺職人は同峠に水準點標石が有った事には気づいてはいなかった。
本項は、09.07.05.檜枝岐村の二人の平野氏にお聞きしたものである。 |
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【関連ページ】
「徳号」水準点のトップページは、 こちら>> 大笹尾「徳八號」水準点のページは、こちら>>
引馬峠「徳二四号」水準点ページは、こちら>> 栃木の山283+ こちら>>です。
最終編集日 09.07.06 |