「徳二四号」二等水準點 檜枝岐 引馬峠


  「徳二四号」二等水準點 陸地測量部 明治41年(1908) 設置 (2007.08.11発見)          

【交易の道・引馬峠】
 .  引馬峠は栃木県日光市川俣から楡の木沢に沿った尾根を登って、平五郎山の山頂に立つ。平五郎山から尾根を西進すると引馬峠なのだが、平五郎山から峠までの尾根は広く無雪期はチシマザサの激薮で現在は容易に人を寄せ付けない。峠手前にある小広い台地があるが、ここはホーロク平と言われ迷いやすい所でもある。桧枝岐から引馬峠までの道筋は歴代の古地形図によると桧枝岐から広窪を通り舟岐川、黒沢に沿って歩く。峠へは越ノ沢か深沢の南尾根を歩き県境尾根から引馬峠に至る。

 会津の古老(*1)は雪が深くなるまで歩いたと言う。豪雪時に迂回した記録を見ると川俣から三依、山王峠、中山峠、舘岩、内川(大桃)経由では6日間も掛かった記述がある。
同峠は南会津から栃木への重要な道として、木工製品(柄杓など)などが峠を越えた。また、引馬峠では無人交易も行われていたという、引馬峠道は当時の南会津・桧枝岐への道の中でその存在は大きかった。


(*1) 南会津村白沢の山内氏にお話いただいた。 氏は大正4年(1917)生まれである。 南会津で山仕事をしていた、また何度も引馬峠を越え栃木へ何度も行ったという事も話をされた。 平五郎山から下って川俣温泉に出る手前の平たい茅場の西端を歩いて空沢の底を歩いた事も懐かしそうに話された。(楢沢林道の川俣温泉・水準點付近) 

09.07.05.檜枝岐村のキリンテにて、平野富夫氏(大正13年・1924)生まれ 、平野宗夫氏(昭和5年・1930)生まれの檜枝岐在住の古老にお会いしました。 お二人は茅葺屋根職人として何度も引馬峠を往来しました、当時の様子をお聞きしました。

     
  上面に球分が無い、後面に「徳二四号」の刻字 発見時の標石は、苔が全面覆っていた、写真は苔を上面前面を剥がした状態


【徳二四号二等水準點 点の記 国土地理院情報】
.  . 【徳24 点の記】

所在 福島縣岩代國南会津郡檜枝岐村字黒岩山
線路
所有主   宮城大林区署   
地目    山林一五三ノロ号
石質    花崗石
點の種類 二等水準点
撰定    明治四十一年六月廿一日
埋石    明治四十一年六月廿一日
観測    明治四十一年八月  八日
班長     陸軍工兵大尉 玉井要人
検査掛   陸地測量師   伊藤祐中
撰定者   陸地測量手   緒方嘉辰
埋石者                仝
観測者                仝

* 「点の記」記載は、下記の線路及び班長以下の氏名は『第九頁に同じ』と記されている。
 上記は、線路及び氏名を九頁を参照し記した。
 線路 : 第九頁に同じ  班長、検査掛、制定者、埋石者、観測者 : 第九頁に同じ 

* 覘標水準測量成果表によると、三角点「腕蔵」事(18)の起發點・番号欄に徳(24)のがあります。
 引馬峠・徳(24)二等水準點が三角点「腕蔵」事(18)の標高策定、路線が周辺の三角点標高策定の為
 であった。

* 徳24二等水準點の点の記にある、班長 陸軍工兵大尉 玉井要人の名が見られる、映画「剣岳・点
 の記」の陸軍大尉 玉井要人(俳優:小澤征悦)その人である。陸地測量手緒方嘉辰は、陸地測量師
 柴崎芳太郎(俳優:浅野忠信)と 同じ部署の班員であり玉井要人は上司にあたる。
            * 映画「剣岳 点の記」「陸地測量部 明治四十年度部署表 三角科」による

 
  【標石データ・現況】
標高  1,895.6m (地形図記載の数値)
寸法  150mm ×150mm   長さ(深さ)は不明(地表部 100〜200mm)
刻字  前面「二等水準點」  後面「徳二四号」  側面 記載なし   * いづれも縦書き
形状  角柱  上面に球分体がない。 上面角の面取りあり
緯度経度  36°55′29.8″/ 139°25′42.5″(GARMIN社製 GPSmap 60CS の数値)
標石材質  花崗岩


標石に損傷はない  * 発見時 全体を苔が覆った状態で、切り株に苔が付いているように見えた。
刻字「二等水準點」は南東の斜面下側を向いている。
標石は傾斜地にあり、後面は地表部から100mm出ている。防護石が両側と後面の三ヶ所にある。
後面には、「徳二四号」の刻字がある、虎号ではない「号」である。表面は土や木の根、汚れていた。 


【探索ストーリー】
 .  引馬峠は会津や栃木の山に詳しいYoshiさんが歩かれた平五郎山からの情報が峠の存在を知る最初でした。 平五郎山ルートは標石探索の事より引馬峠までの道程で、激薮の尾根は長く日程上からこのルートからの探索は断念した。

・第一回探索(2007.07.28-29)は、県境の馬坂峠から台倉高山経由の県境尾根ルートとした。 馬坂峠からは台倉高山までは登山道も整備されている。 その先からは原生林を倒木や岩を越えて行く、台倉高山先の鞍部は湿地でその先はチシマザサの激薮である。 引馬峠での探索は予想していた状況と違い陽射しの無い樹林帯で日暮れも早い所だ。 上空を樹林で閉ざされGPS精度が落ち、広い峠での位置特定に自信が持てず区域設定がやっとで発見に至らず終了した。

・第二回探索(2007.08.11-12)は、薮山経験の豊富な鵜沢さんとの二人での探索行となった。
出発地を越ノ沢ルートに変えて引馬峠へ向う、途中の越ノ沢橋では埼玉SSKさんの見送りがありました。 二回目の探索は現地を見ているので再度探索には次の手も準備し望んだ。 事前に資料を息子見せると県境は少し東側でないかとのアドバイスも頭に入れていった。 前回に区域特定の仮点を半径25mの周囲にピンクの紙テープでマークを設置しておいた。 県境の引馬山から引馬峠へと倒木を乗り越え笹の濃くない所を拾って下り歩く。 引馬峠が近づいてきた、山部には前回設置のピンクテープが見えた、それに引かれてテープに近づき横を通り過ぎる。 その直後、鵜沢さんのストックが岩を突く音を背後に"ガチン"と聞いた。 ストックで付いたその周りの石が保護石だと直感できた。 三角点のたたずまいだと鵜沢さんも解ったらしい。 この広い峠の中で針の穴を射抜くようなラッキーな一突きであったのだ。 なんてラッキー、なんてラッキーなのだろう。 神様は本当にいる鵜沢の神様が来てくれたと感じた。

 覆われていた苔を取ると「二等水・・」文字を確認する、二人で顔を見合いやったーと感激した。 設置から100年目の発見、こんなあっけないものになった。 前回のマークした木の根元に有るなんて驚きである。 今日見つけられなかったら次ぎの探索計画を立てただろうか、亡失してから30年、設置してから約一世紀後の発見に何かの因縁を感じた。

 その日は引馬峠にテント泊した。翌日は孫兵衛山へのピストンし昼頃に引馬峠に戻った。 峠に向って尾根を下っている途中で鈴の音を聞く誰か峠に居るなと感じとる。 峠に戻ると今回の探索の情報交換をしていた「@宇都宮」さんが峠に到着した所であった。 発見を知らせ標石に案内し共に喜び合いました。 引馬峠水準点探索には多くの方々からの情報や激励をいただき、発見のご報告が出来る事で報いられる思いです。 感謝、感謝。

       
             正面 「二等水準點」              上面は平ら、「二等、、、」の文字はやや南西を向く

      
         標石を確認中(左・鵜沢氏 右・@宇都宮氏)              標石の近くに名板設置

【ご注意】
 .  この地域は尾瀬国立公園(2007.08.30の告示)の成立に伴い規制区域となりました。
引馬峠への明確な道はありません、獣道、湿地や沢遡行、激薮など危険な原生樹林地域です。
どのルートも読図力や薮歩きの経験を要求する地域です。 また、携帯電話は使えないエリアです。
周到な計画や熟達者の同行がこの地域を歩く条件になると考えられます。


【関連ページ】
 . 「徳号」水準点のページは、こちら>> 
「徳一七號」瀬戸合・萱峠水準点のページは、こちら>>
「徳八號」瀬尾大笹原(大笹牧場)水準点のページは、こちら>>

* 2007.7.28-29 馬坂峠〜台倉高山〜引馬峠、ピストン探索のページは、こちら>>
* 2007.8.11 黒沢林道終点〜越ノ沢〜引馬峠〜火打石沢〜黒沢林道は、探索のページは、
* 2007.8.12 引馬峠 〜 孫兵衛山の往復は、こちら>>                  こちら>>
* 2007.9.16 引馬峠 〜 台倉高山 〜 馬坂峠の往復は、こちら>>

* 2005.4.10  Yoahiさんが残雪期に歩かれた、平五郎山〜引馬峠は、こちら>>

* 2007.9.1- 4 越前屋さんが歩いた、檜枝岐〜孫兵衛山〜引馬峠〜檜枝岐の山行記録は、
          山行記録はYoahiさんの「高原山探訪」」によるものです。        こちら>>
          越前屋さんの「山と渓谷のへっぽこ雑技団」の記録は閉鎖されました。(2008.3)
          (越前屋晃一さんは、2007.12.31北アルプスで遭難されましたご冥福を祈る。)

* 2009.7.05  檜枝岐〜引馬峠〜川俣を歩るかれた、元茅葺職人(檜枝岐さん)からお聞きした                   当時のルートと様子は、こちら>>

【報道・書籍関係】
* 2007.8.17 読売新聞 栃木版 、 2007.8.21 読売新聞 福島版 、 2007.9.14 下野新聞  
  2007.9.発行 「岳人」 10月号 、「山と渓谷」 10月号 、「山の本」 秋号  こちら>>


                                             最終編集日 2009.7.05

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