徳一八」二等水準點 川俣大橋       

明治期の『徳18』標石が昭和36年までは有った。川俣大橋基部付近 撮影2010.8.21

以前から何度も探索しましたが、『徳18』標石は見つかっていません。
当時の地形図によると現在の川俣大橋の基部の所に水準点標石の記号が記されてありました。
そこは正につり橋の基礎部であり、当時の標高と現在の標高とでは 2mほどの違いがあります。
明らかに架橋工事に掛かる部分で、一連の徳号水準路線の標石調査時にあきらめていた。
(明治期の標石設置時の標高 990.8m 架橋後の標高点 993m)                  .

しかし、先日つくばの地理院で「聖号水準路線」の点の記を閲覧した所、その中に「徳18 , 32 , 42」の
再測量施工の点の記が見つかりました。 その中で『徳18』は大いなる期待できるものでした。
早速、2010.8.21より現地に入り探索を開始しました。                             .

【第一回再調査 2010.8.21 】
・再探索開始、2010.8初に新たな点の記「徳18」を閲覧しました。
 その「徳18 」点の記の内容は昭和36年7月12日に選点・13日埋標・14日観測とあり、標石を移設したものでした。
 点の記には、川俣大橋建設予定地と記してあり、架橋地に掛かるため標石移設です。
 川俣大橋の起工はS36.6、竣工S37.でありその時のもので、それまで「徳18」標石があったということです。

・さて、移設場所ですが点の記には『旧位置より西方82mに移転 昭和36年7月14日』とあり、手書きの地図があります。


【再第二回調査 2010.9.4 】
・第二回二等水準点「徳18」探索 参加者 標石グループ飯島さん、山部の2名

【以下は、飯島さんの標石グループへの報告で、そのままの掲載します。】

《 第一報 》
『 栃木の中村さんと、陸測2等水準点の「徳18」「徳20」(栃木県日光市、旧栗山村)の探索に行ってきました。
以前に中村さんが徳号水準点を探索なさっています。先日、中村さんが徳18号の新点の記を発見したとの連絡を受けました。
新点の記には徳18は昭和36年に移設されたとのこと。
今回、中村さんにご案内いただき新点の記に記載の場所を2人で探索してきました。

18号ですが、昭和36年、川俣大橋が建設されることになり、
ちょうど橋の南詰めになってしまった水準点標石は移設ということになったようです。
新位置は旧点(橋の南詰)から西方に82mの県道北側です。
大橋は昭和37年に完成、川俣大橋以西の県道は廃道になり、現在の地図には記載はされていません。
現在は笹に覆われてしまっていますが、なんとなくここは道路であったようななごりはあります。
点の記では設置位置に岩が書いてあり、道路の北辺、岩の手前に水準点があるように書かれています。

巻き尺で位置を確かめてみると、たしかに西方82mあたりには岩がありいかにも点の記どおりの状況です。
しかし、この場所は崩落した大小の岩と、落ち葉が腐葉土化した土が堆積、それに木の根が入り込んでいるようで、
本来の道路面は埋もれてしまっているようです。
鉄の棒で地面を突いても、崩落した石に当たるばかりで、標石の在処はわかりません。
仕方なく石や土砂を取り除くことにしました。3050cmほど掘ると、かつての道路面と思われる地面になりました。
漬物石ほどの大きさの丸石や玉砂利など明らかに自然にそこにあるはずがない石と、ゴムなどの人工物が発掘されたからです。

点の記には標石は「地上埋設、保護石4個」とあります。
かつての道路面まで土砂を除けば標石は顔を出すはずと思い、格闘すること3時間。
自分たちでも「良くこんなに土砂を除いたね〜〜〜」と感心するほど除いたのですが標石はとうとう見つかりませんでした。
まだ完全ではないので、もしかしたら手つかずの所に標石はあるのかもしれませんが、
少々疲れたので探索は断念。標石の発見はできませんでした。

次は「徳20」です。この標石は当初の設置位置のまま、現在に至っていると思われます。
設置当時の点の記と古い地形図しか資料がないので、位置の特定は難しいのですが、
「ここ」と思われる場所を探索。点の記には保護石の絵も書かれているので地上埋設と思われます。周囲は比較的広めの場所で、
草で覆われています。 「ここ」と思われる場所の周辺の草を払うこと2時間。やはり標石は見つかりません。
2人でいろいろ検討した結果、「設置当初、道は登山道程度の幅で、今の林道よりやや西側の林中であっただろう、」
「今は車も通れるほどの幅の林道であるが、旧道より谷側に建設されているようだ、」「この工事の最、標石撤去、
あるいは重機などで破壊されたかも、」ということで「標石の亡失はほぼ確実」の結論に達しました。

結局2点の探索は空振りに終わり夕方になってしまったのですが、「徳」号水準点の全貌解明には少し近づいたと思います。
昭和30年代にも一部の陸測2等水準点が測量さていたこと(当時は標石が管理されていたこと)を知っただけでも収穫です。

帰りに日帰り温泉で湯につかり場がら「標石談義」。汗を流してさっぱりし帰途につきました。
添付の写真ですが、地面を掘り下げたように見えますが、実際は少し白っぽく見えるあたりが本来の道路面で、
3050cmくらい石や土が堆積し自然に戻りつつある状況です。

地形図は5万「燧岳」(昭和8年版)、「川治」(昭和36年版)です。
川治図の「徳18」水準点(995.4m)は設置当初の位置に記載されていて、新位置はその西方、道路が南下を始める位置あたりになります。
なお、1084.8mは「徳17」で、標石は現存しています。

 ここで疑問点・・・。 
18の移設はやむを得ないとしても、なぜ西方に移設したのか?
橋が完成すれば移設後のこの道は廃道になることが明確で、標石が使いづらくなるのではないか。
橋のすぐそは(結構広い広場あり)や、廃道にならない東側の県道

でも設置できる場所は十分にあると思われる。移設はこのほうが適当ではないか。
地形図へ水準点の記載だが、三角点と同じように水準点も「真位置」に記載することになっている。
水準点の平面位置はどのように求めたのか。(特にこの徳号のように山中のものは)「徳20」の位置判定も、
1/5万図を1/.5万に伸図(マイラーに拡大コピー)して、現在の地形図に重ねて標石位置をもとめ、
標高1166.0mと現在の地形図の1170m等高線との関連を現地でみきわめながら標石位置を推定。

 さて、今回は標石探索残念談ですが、メールを読みながら今年の猛暑をちょっとでも忘れられるようでしたら、と思い、ご報告いたします。 』

《 第二報 》




『 さて、前回の続きです。今回は謎の「徳18」号について。
「徳」水準点の探索の経緯は前回のメールのとおりなのですが、
現地探索の事前に検討した地図について報告します。

 「徳18」は1/2.5万「川俣湖」の昭和47年測量版に記載されていますが、
位置が新点の記と異なっています。
地形図に記載された標高は990.8mで昭和36年移設時の標高と同じです。
なぜ、この位置に水準点記号が記載されたのかはわかりません。
再移設ということも考えられるとは思いますが、それに関しては資料がないので何ともいえません。なお、1/5万「燧ヶ岳」図には移設後の標高(990.8m)にもかかわらず記号が
旧位置に記載の昭和40年代版もあるようです(手元に図がありません。
図の紹介ができなくすみません)。

 新熊野橋から川俣大橋への県道は今は道路がショートカットとなって直線的になりました。
地形図記載の道は旧道となりましが道路は舗装のまま残っています。
標石探索では、念のため水準点記号の位置も調べてみましたが、
この場所は工事の作業場になっていて小屋等も建っています。標石は見つかりませんでした。また、ありそうな雰囲気もありません。  図上の位置がまちまちで不思議な「徳18」です。』

以上は、飯島氏の報告で、私の所にも来きましたのです、原文をそのまま掲載しました。 
 ( 本文中の、中村=山部 )

      
徳18号の探索中の飯島氏


【関連ページ】
     「徳号」水準点のトップページは、   こちら>>   大笹尾「徳八號」水準点のページは、こちら>>
     引馬峠「徳二四号」水準点ページは、こちら>>  栃木の山283+ こちら>>です。

                                                       最終編集日 09.07.06