「福 号」二等水準線路 (上野国・沼田周辺)   .
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 「福二〇」二等水準点 標石   群馬縣利根郡川場村 背嶺峠 2010.07.04現認

「福二〇」二等水準點標石 を背嶺峠(せみねとうげ)で確認.


【正確な測量による日本地図製作が始まった、それが創世期の二等水準点測量】
  今回(2010.07.04)私は、背嶺峠で「福二〇 二等水準點」標石を確認した。 この水準点標石は明治41年(1908)に陸軍参謀本部陸地測量部が設置したものであり、今回「福一一」 の二等水準點標石と合わせて2基を確認しました。

福号二等水準路線は、周辺の三角点に標高を与えるため、沼田を基点に「福一」から「福二九」まで水準測量を行った。 点名29点中14点に標石埋石し他の点には標杭(木杭)を設置し水準測量をした。 100年以上前に設置した木杭は現在は自然に戻っているので無く標石が残っている筈である。 しかし、標石も道路改修などにより不明になっているものが多い。
福号二等水準路線の標石2基確認した。 他路線標石(「徳号」など)のような刻字「号」字はない。 また、「福二〇」標石の上面は四角錘になっていた。(「福一一」は平らであった。)

( 注 *1 )
 水準点とは、三角点が水平位置(緯度経度)の基準であるのに対して、水準点は鉛直位置・高度(標高)の基準である。 三角点の標高を定めるため、二等水準点として設置された高さの基準点である。 明治三十九年(1906)までは水準点標石を埋設せず標杭(木杭)や神社の石垣などへの刻字をし基準点として利用された。 福号二等水準点は、水準點標石設置が始められた頃の貴重な標石である。 二等水準点は上面に半球分の無いもので数少ない貴重な標石でもある。

( 注 *2 )
 「三角及水準測量成果摘要 第11巻 陸地測量部 大正6 」 「本頁ニ記載セルモノハ二等水準點ニシテ球分ナシ眞高ハ標石上面の高サヲ示ス」  p202 とあります。

( 注 *3 ) 山部薮人も標石グループに参加しています。 (10.07.04 現在)



 福号二等水準点線路の標石設置の所在地

群馬県利根郡沼田町一等水準点(3537号)から利根郡内を周回する一等水準点(3538号)に至る路線
               第89部 明治41年度 測量掛 陸地測量手 泰山英哲    赤字は確認済

福 1 ( 427.651m)「沼田」 群馬縣利根郡沼田町字十王堂1868 俗称原新町  道路改修
福 3 ( 389.427m)「沼田」 群馬縣利根郡利南村上久屋村字観音2159 俗称岩屋堂  道路改修
福 5 ( 448.892m)「沼田」 群馬縣利根郡白澤村平山村字白沢  道路改修
福 8 ( 507.401m)「沼田」 群馬縣利根郡赤城根村日向南郷字大ナシ沢  未確認
福 9 ( 557.376m)「沼田」 群馬縣利根郡東村薗原字前畑  未確認
福11( 704.748m)「追貝」 群馬縣利根郡東村大原新町字東宿  (2010.07.04 確認)
福13( 665.100m)「追貝」 群馬縣利根郡東村追貝字森山815  道路改修
福15( 798.382m)「追貝 群馬縣利根郡東村平川字折越  道路改修
福18( 870.860m)「追貝 群馬縣利根郡片品村花咲字越沢  道路改修
福20(1206.314m)「追貝」 群馬縣利根郡川場村川場湯原字中谷2675 俗称背嶺  (2010.07.04 確認)
福22( 780.920m)「追貝 群馬縣利根郡川場村川場湯原字木賊  道路改修
福24( 585.254m)「追貝 群馬縣利根郡川場村川場湯原字中 須賀大神宮門前  標石は地理院に展示
福26( 475.403m)「追貝 群馬縣利根郡川場村生品字前原  道路改修
福28( 383.104m)「沼田」 群馬縣利根郡池田村岡谷字川原  未確認

 出典:二等水準測量点の記 三角及水準測量成果摘要(陸地測量部) 飯島仁氏 2007.06.21

* 国土地理院には当時の「点の記」が残されております。 しかし、「点の記」には標高などの測量成果の
  記載はありません。 標高などの成果は「三角及水準測量成果摘要」(陸地測量部) 飯島仁氏 2007.06.21
  によるものです。
* 設置場所は、当時の旧町村名を表記しています。 昭和35年発行 1/5万地形図「沼田、追貝」に記載あり。
  (2010.07.04 / 現地調査)


「二等水準點 福 号」今回発見の標石 2 基

 「福20」背嶺峠 こちら>>  「福11」大原新町 こちら>>

福一一 東村大原新町   福二〇 川場村川場湯原字中谷
俗称背嶺峠



                       当時の水準点についての雑学

 明治期の陸地測量部設置の二等水準点は、「測量官の冠字に一連番号で表す」とある。
同じ測量官が担当すれば他所で同一の番号の水準点が存在するということのようです。
水準点番号の欠番ですが、たとえば「福2」ほかですが、これらの水準点は全く存在しないということではなく、水準点が標石ではなく標杭(おそらく木杭)であるようです。 (標石グループ 上西氏談)

 明治の三等三角点設置時の三角網図には二等水準路線が記載されているのを見たことがあります。設置目的から、以外と幹線からはずれた村々や峠を通過しているようです。標石が設置された路線はほとんど無く、だいたいが木杭の水準点のようです。かなり以前ですが埼玉県内の陸地測量部の二等水準点の点の記を閲覧したことがありました。それによると、路線のすべてが標石ではなく「木杭」と記載されていました。ちなみに埼玉県内を通過する陸測の二等水準路線で標石の設置されたものはひとつもありません。 (標石グループ 飯島氏談)

 全国的に見ても明治の二等水準線路で標石が確認されているものは少ないようです。今までに福以外には、徳号標石を確認している。 「福」標石には号の刻字はない。 
つくば市国土地理院・地図と測量の科学館に展示中の二等水準点標石
「福24号」(当時の設置場所・群馬県利根郡川場村川場湯原)がある。 (山部)

 福号水準点標石探索は、標石グループの山岡氏、上西氏、飯島氏、遠山氏の情報・資料を元に探索したものです。 特に、徳号水準路線記載の「下野國、岩代國、所在三角及水準點圖」及び「点の記」など貴重な資料を上西氏、飯島氏からのご提供いただきました。
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【報道・書籍関係】
  ・ 8/17 読売新聞 栃木版、 8/21 読売新聞 福島版、9/14 下野新聞、
                       「岳人」、「山と渓谷」 10月号、「山の本」 秋号 こちら>>


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