当時の水準点についての雑学
明治期の陸地測量部設置の二等水準点は、「測量官の冠字に一連番号で表す」とある。
同じ測量官が担当すれば他所で同一の番号の水準点が存在するということのようです。
水準点番号の欠番ですが、たとえば「福2」ほかですが、これらの水準点は全く存在しないということではなく、水準点が標石ではなく標杭(おそらく木杭)であるようです。 (標石グループ
上西氏談)
明治の三等三角点設置時の三角網図には二等水準路線が記載されているのを見たことがあります。設置目的から、以外と幹線からはずれた村々や峠を通過しているようです。標石が設置された路線はほとんど無く、だいたいが木杭の水準点のようです。かなり以前ですが埼玉県内の陸地測量部の二等水準点の点の記を閲覧したことがありました。それによると、路線のすべてが標石ではなく「木杭」と記載されていました。ちなみに埼玉県内を通過する陸測の二等水準路線で標石の設置されたものはひとつもありません。 (標石グループ 飯島氏談)
全国的に見ても明治の二等水準線路で標石が確認されているものは少ないようです。今までに福以外には、徳号標石を確認している。 「福」標石には号の刻字はない。
つくば市国土地理院・地図と測量の科学館に展示中の二等水準点標石「福24号」(当時の設置場所・群馬県利根郡川場村川場湯原)がある。 (山部)
福号水準点標石探索は、標石グループの山岡氏、上西氏、飯島氏、遠山氏の情報・資料を元に探索したものです。
特に、徳号水準路線記載の「下野國、岩代國、所在三角及水準點圖」及び「点の記」など貴重な資料を上西氏、飯島氏からのご提供いただきました。
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