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2011年-report-34   .

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『唐沢山城跡3級基準点 + 2010-01 佐野市』 金属標

栃木県佐野市富士町 (2011.12.10)

この金属標は唐沢山の「御料局三角點」のある、221m峰ピークにある。 先日見た、ひたちなか市殿山町の金属標には「街区三角点」と彫刻されていた。 しかし、佐野市の金属標には「唐沢山城跡3級基準点」とある。 設置は2010と新しい。 街区基準点であろうが、場所により街区、基準点・三角点・多角点など表記は色々ある。






唐沢山 『 御料局三角點 』 (御料局三角點 ×) (S2)




唐沢山 『 御料局三角點 』 (御料局三角點 ×) (S2)
栃木:県佐野市富士町 (2011.12.10)

尾根の221m峰に「いもり山・221m」山名板を見る。 御料局三角點標石がピークに埋石されている。 この標石は、各角が面取りされている。 このような標石を見たことはない。 石質は岩舟石である、上面がやや欠けているので「×」が完全でない。 刻字(御料局三角點)は標石側面一杯に彫刻されている。 寸法□150×150mm、彫刻面も□150×150mmと正方形、地上高は180mmである。 面取り幅は30mms巾広ろである。

この221m峰からは唐沢山の南山麓が鳥瞰出来る適地であろう。 唐沢山は堅固な唐沢山城であり戦国時代には、上杉謙信から攻められたが
上杉軍を撤退させた。 その後も9度にわたり上杉軍の攻城を受けたがことごとく退けている。 この堅固さは評判となり関東一の山城とされる。

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唐沢山 宮界標 『 界5 』 (宮 界五 ×) (24)




唐沢山 宮界標 『 界5 』 (宮 界五 ×) (24)
栃木:県佐野市富士町 (2011.12.10)

「界5」は、奈良渕集落から唐沢山への道を進むと尾根に出ると道横に界標がある。 この「界5」に近いピークには△三等「大久保」があり、踏跡が界標脇に着いている。 「界5」の番号を見ると尾根突端が界標の始点であるようだ。 ここから唐沢山神社方面への尾根に界標が列を作っている筈であるが今回はデータを取って「界5」を後にした。
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唐沢山 宮界標 『 界706 』 (宮 界七〇六 ×) (18)
栃木:県佐野市富士町 (2011.12.10)

「界713」の北方に「界706」はある。 その間に有るはずの7基の界標は墓地や篠竹薮があり無い、道路拡張なのだろうか界標は見つけられなかった。 「界706」は暗き畦際にあるが白き花崗岩の界標は存在感がある。 刻字も鮮明であった。   設置場所は、こちら>>






唐沢山 宮界標 『 界713 』 (宮 界七一三 ×) (18)
栃木:県佐野市富士町 富士浅間神社近傍 (2011.12.10)

栃木県内の御料地の三角点や界標探索も、冬季になり那須や奥日光の探索は出来なくなり県南の御料地へ移動した。 今回は唐沢山御料地、御料局三角点などすでに遠山氏から概要が公開されているのでその確認をした。 *注(カッコ数字)は、遠山氏公開の位置番号です。

唐沢山神社へは(車で) 3ルートの一つ犬伏町から向かい富士町集落に入ると大鳥居がありそこにある駐車場へ停める。 ここの上部に富士浅間神社があり近傍に宮界標がある。 刻字が不明となっているのでその解明をしたい。 界標の材質は岩舟石であるが風化が進んでいた。 刻字面の清掃をして光の状態でわかりづらいので、水でしっとりとさせて色々の条件で写真撮影した。 また、拓本により最終確認した。 (掲載写真でも、七一三と読める、界が見えれば天才)

写真の界標は唐沢山神社新道(参道)「カーブ22」付近道路下に埋石されている。
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参考文献
日本測量史・御料局三角点 (上西勝也氏)は、こちら>>
跋渉会・御料局三角点と宮界標 (遠山氏)は、こちら>>
*今回上記文献を参考に探索しました。*
唐沢山宮界標リストは、こちら>>


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