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2011年-report-36   .

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□球分標石 『 量水基標 』
栃木県さくら市蒲須坂 三嶋神社  (2011.12.16)



□球分標石 『 量水基標 』

栃木県さくら市蒲須坂 三嶋神社  (2011.12.16)

荒川畔にある三嶋神社を探索、荒川を見下ろす木立の中に球分標石があった。 刻字は薄い標記(刻字)で難読、正面に「量水基標」裏面に「栃木縣」と思われる。 正確には再確認を要する。 他の面にも刻字が認められるとので後日確認したい。 量水とあるので流量計測標と思われる。 この標がここにあるという事は荒川の治水計画の基準点であろう。 この日先に見た、星宮神社の球分標石と目的が違うようである。     設置場所は、こちら>>  






□水準点 『 BM-61 』

栃木県塩谷町上肘付 高尾神社  (2011.12.16)

星宮神社周辺の神社を探索、金属標の「BM−61を高尾神社に見た。 付近は整然と田園が広がる、荒川に近い社である。 私感ですが荒川の治水関係ではなく耕地整理のものではないだろうか。 今回は探索だけなので詳細調査は継続したい。     設置場所は、こちら>>  






□球分標石 『 農林省 BM-13 』
栃木県塩谷町本田 星宮神社  (2011.12.16)



□球分標石 『 農林省 BM-13 』

栃木県塩谷町本田 星宮神社  (2011.12.16)

栃木県塩谷町本田の星宮神社に球分標石 『 農林省 BM-13 』を見た。 羽黒山を仰ぐ地の星宮神社にあった。 この日近くの工場団地へ向かう途中で偶然に標石を見た。 見慣れた球分標石なので直ぐに解った、すぐさま確認すると「農林省」の文字から耕地整理だろう。 裏面に「BM-13」とあるので周辺には同様標石の確認が出来るものと思われる。
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NTT界標 『 ◎ NTT 』 (◎ NTT → 85MM )

栃木県小山市本郷町 唐沢山  (2011.12.14)

小山市本郷町のNTT小山支店(現在は顧客窓口はない)西北角 スパーたいらやとの境界・宝くじ売り場傍にあり。 花崗岩界標はまだ新しい、旧電々公社界標を探索探していたが真新しいNTT界標を見る。
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JR界標 『 工 』 (工 頭頂部は角錐形)
栃木県足利市通り2 JR両毛線足利「町南一号踏付近切  (2011.12.12)

足利市通り2の両毛線踏切付近に、「工」界標(JR用地杭)が多数ある、花崗岩の標石には時代を感じる。 「いい仕事だねー」とよく言われるが花崗岩の頭頂部が角錐の界標は美しい。 界標を見ていたら思い出しました、栃木県文書館で陸軍陸地測量部から栃木県宛の文書を見た。 内容は陸地測量部設置の三角点を鉄道省が測量に使用する通知だ。 「工」はレールの断面に見えるが、明治政府の工部省の「工」である。 当時「工」の刻字はJRに変わった現在も、当時のままコンクリート製標石に「工」を使っている。 界標を「用地杭」とJR関係者は呼ぶようである。 

明治の省庁名が平成までそのまま使われている稀な例ではないだろうか。 現在工部省が無いから良いようなもので、国鉄からJR変わった時が変更のタイミングだっただろう。 国鉄以外の公社である専売公社や電々公社は、社章なども変更し、界標にも新会社のイメージを反映して変更している。

余談ではあるが「工」用地杭は、頭部を赤(朱)に塗られている、大抵の場合たっぷりと塗料を塗りつけてある。 そのペンキが血潮のようにたれているので、『血塗られた標石』と思われている。(”ぶらタモリにてタモリ氏発言”2011.12放映)

・民法での界標関係条文は、「第225条・界標設置権」があります。
・JR本社及び大宮支社様にて、「工」の由来をお聞きしました。 ご返答は、『工部省が初め設置したのは間違いない、その後の経緯は不明です。 レールの輪切り説(金太郎飴)は確認していない』とのことでした。 全国に沢山ある界標(用地杭)を会社のイメージに使わず、そのまま使い続ける会社の社風は変化を嫌うのであるのだろうか。 2011.12.26-27
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唐沢山 宮界標 『 界746 』 (宮 界七四六 ×) (26)
栃木県佐野市富士町 唐沢山  (2011.12.10-11)



唐沢山 宮界標 『 界746 』 (宮 界七四六 ×) (26)



唐沢山 宮界標 『 界746 』 (宮 界七四六 ×) (26) 
栃木県佐野市富士町 唐沢山  (2011.12.10-11)
* (26)の数字は、遠山氏公開の位置番号 *

唐沢山の宮界標で前日(12/10)夕刻の探索は、「界746」「界12」2基は日没のため詳細確認はできなかった。 翌12/11に再訪し刻字彫刻の解明に重点を置いた。 この『 界746 』 (宮 界七四六 ×)は拓本の水張り過程で確認できた。 この界標は写真では見えない刻字が拓本では鮮明に見えた。 墨を打つと鮮明に美しい拓本となった。 上面の「×」は対角に細い×、中心部は太い×に彫られている。     設置場所は、こちら>>  






唐沢山 宮界標 『 界12 』 (宮 界一二 ×) (25)
栃木県佐野市富士町 唐沢山  (2011.12.10-11)

  

唐沢山 宮界標 『 界12 』 (宮 界一二 ×) (25)



唐沢山 宮界標 『 界12 』 (宮 界一二 ×) (25)
栃木県佐野市富士町 唐沢山  (2011.12.10-11)
(25)の数字は、遠山氏発表の位置番号

この界標は畦にさりげなくある。 頭に苔の帽子を載せアザミや笹をまとってひっそりとある。 行き止まりの集落に入ると三角な岩がある、岩には「庚申塔」と彫ってある。 12/10には夕日が峰に落ちようとしていたので通過してしまい、「宮 界746」確認の後になった詳細は12.11となった。

12/11 AM10:00頃訪問、界標の石質は岩舟石で風化だろうか彫刻は薄くなっている。 宮は宮界標を長い事見ていると宮の「○や呂」それらしく見えるのは不思議だ、もう職業病に罹っているのだ。(写真で見ると丸のカーブが良く見えないが現地では光の関係か宮に見える。)

裏面(道側・界番号側)は、もっと難解で界は想像の世界である。 その下に三本の横棒が見える。 さて何と解読すれば良いのか拓本も採った直接何度も見た。 見れば見るほど妄想で見えない数字に見えてしまう。 埋石場所は田の畦であるが背後は尾根が降りてきている所で、尾根には宮界標(宮 界4)がある。 番号「界12」とした、遠山氏発表の位置番号(25)は界番号の記載はない。            設置場所は、こちら>>
 

参考文献
日本測量史・御料局三角点 (上西勝也氏)は、こちら>>
跋渉会・御料局三角点と宮界標 (遠山氏)は、こちら>>
*今回上記文献を参考に探索しました。*
唐沢山宮界標リストは、こちら>>


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