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唐沢山 宮界標 『 界154支1 』 (宮 界一五四支一 ×) (新)

唐沢山 宮界標 『 界154支1 』 (宮 界一五四支一 ×) (新)

唐沢山 宮界標 『 界154支1 』 (宮 界一五四支一 ×) 拓本
栃木県佐野市富士町・岩舟町小野寺 △四等『謡坂』 (2011.12.29)
「界154支1」発見の報が情熱的な山歩きをしている鹿沼の加藤氏よりメールが入った。 直ぐに駆けつけたかったが12/29になってしまった。 全くの新発見だ下方には「・・・支4」がある急傾斜地であるがここが市町境界尾根である。 「・・・支1」が頂上直下にあるとは気付かなかった快挙である。 以前から「界154」が△四等「謡坂」のピークにあるのではないかと予測していたが、今回の「・・・支1」の発見で確実なものとなった。
最初に△四等「謡坂」標石を確認に訪問したのは、2008/2でその時頂上付近に規模の大きな亀裂(地割れ)が発生しているのを見た。 当時その亀裂は出来たばっかりの感じであり、直下には旧県道が通っていたので岩舟町へ連絡した。 それから3年が過ぎた、亀裂の中には落葉が溜まっている。 △四等「謡坂」にはもう4度目の訪問にでなる。
謡坂峰へは峠の頂部から歩いた、途中には「界154支4」がある。 「・・・支1」は、加藤氏よりと亀裂の中にあると書いてある。 亀裂現場に着くと先日探索した所にあったなぜその時気付かなかったのだろう。 標石は全体を曝け出し少し恥ずかしげであるように見えた。 すぐさま駆け寄りその標体の汚れを水で流した。 その後亀裂の中から救い出し尾根に横たわらせた。 その後「界154」の探索したが発見には至らなかった。 設置場所は、こちら>> |
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唐沢山 宮界標 『 界37 』 (宮(第卅七号) 界三七 ×) 栃木県佐野市富士町 避来矢の砦北方尾根 (2011.12.29)

唐沢山 宮界標 『 界37 』 (宮第卅七号 界三七 ×)
栃木県佐野市富士町 避来矢の砦北方尾根 (2011.12.29)

唐沢山 宮界標 『 界37 』 (宮第卅七号 界三七 ×) 拓本
栃木県佐野市富士町 避来矢の砦北方尾根 (2011.12.29)
この「界37」は舘沢氏よりデータが送られて来た。 同じ標石グループや日本標石保存協会東日本のメンバーである。 舘沢氏のデータベースには日本各地の標石がどれだけあるのか計り知れない。 まるで打ち出の小槌のようだ。 氏から唐沢山で宮界標を探索していると連絡すると「界37」を教えてくれた。 唐沢山宮界標をまとめた遠山氏への舘沢氏から数点の情報を提供したとある。
さて、「界37」であるが、唐沢山御料地宮界標この標石は、唐沢城跡避来矢の砦北方尾根にある。 「宮」「界三七」の彫刻がある。 最初に標石の採寸し各方向から写真撮影をする。 サイズはちょっと太めな155×155mmのどっしりとしている。 「界三七」は下方(北)を向き、「宮」は避来矢の砦北方尾根(南)を向いている。 「宮」側の落葉を払い全体を見たが他の標石と変わらないと感じた。 特徴は避来矢の砦北方尾根近傍標石とやや太めのサイズの筈だった。
もしやと思い拓本を採ったら、「宮」の下に「第卅七号」の文字が浮かび上がった。 「界三七」面も採ると判読できない彫刻(刻字)文字痕が見えた。 唐沢山城南城下方の「界二二」と同じようなサイズと、彫刻を直した痕跡でも同じである。 唐沢山の宮界標は、石質の違い、サイズの違い、刻字の連続性のないものなど難解な標石など標石の宝庫である。 当然設置(埋石)時期の違いなどなんらかな経緯があるのだろう。 設置場所は、こちら>> |
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唐沢山宮界標・御料局三角點の設置概要図、(22)が「界37」の位置
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唐沢山宮界標・御料局三角點の標石集計ページは、こちら>>
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