【山行日】 2009年 8月 23日 (日) |

御料局三角点 三等 |
【山 域】 白根山 |
【地 図】 1/2.5万図地理院(男体山)
地形図(金精峠・温泉岳) |
【天 候】 快晴
|
【所在地】 栃木県日光市
|
【同行者】 山部単独
【関連 09.08.15.五色山、金精山
ページ】 09.09.05 温泉ヶ岳の古穴
温泉ヶ岳〜竜池ノ宿、2193m峰、
金田峠〜刈込湖、湯元へ、こちら>>
・界標「界甲五二八」−「界甲五八〇」 こちら>>
|

温泉岳山頂
|

温泉岳山頂周辺の歩行ルート図、赤点の所に大穴あり危険
|
【宮 界標、調査】
|
この日も、奥鬼怒林道(山王峠道)は閉鎖と途中の電光掲示板にあった。 今日の金精峠トンネル口の駐車場は、まだ空スペースはあった。 出発だ、いつもながら壊れた丸太の階段は嫌な感じしかし慣れで次が解かると苦にもならなるのが不思議である。 宇都宮の夫婦連れの後を追うように間隔をおいて歩いていくと、自転車を置いて休んでいる方がいる。 パスしてお先に峠へ向う、金精神社の赤屋根が見えると温泉岳へ刈払われた道に道標があった。 ここから一旦下って金精峠へ付いた。
前週も峠周辺を探したが無かった、今回も金精山方面も探したが無い。 当時、厳しい洋服姿の官吏、和服の立会人、人足だろうか木杭を持って話の輪の外にいる。 絵図であろうそれを示し会話している、木杭の位置を指示している。 そんな界標設置時のやりとりを思い浮かべる。 そんなやりとりを想像しながら、ここだろうと探すも金精峠周辺には無かった。 現在の金精峠は平らたく均されている、神社の社も新しく昭和に作られたものだろう。 ブロックの小屋跡があるが旧神社跡なのだろうか避難小屋だったのだろうか、明治から峠の様子は変わっているように思われるが。
|

金精峠・温泉岳登山道にある界標「界甲四八〇」
|
【温泉岳方面を】
以前歩いた時に温泉岳途中に界標があるのを覚えている。 金精峠から100mも歩かないうちに掘れた道際に立っていた。 幸先よいぞ、写真撮影、GPSデータ測定、寸法を取る。 メジャーを出して計測していると大田原の方が来られた、「この先界標を見たら教えてほしいと」依頼し先行してもらう。 界標には、栃木側に「宮」群馬側に「
界甲四八〇」が刻字されていた。
界標のほんの少し先がトンネル口へのショートカット道分岐となって笹原を下る。 その先の下草の無い尾根筋を道から離れて探す。 時々シャクナゲなど有るが探すには問題ない、しかし見つからない。 胸程の深い笹原(スズタケ)を書き分け斜面を40M進んだが徒労に終わった笹は厄介である。 ここの笹の中で持ち物紛失した。(鉈で帰りに探したが無し) 笹から道に出ると道は崩落地の上部の見晴らしの良い所に出る。 この付近も丹念に探したが無かった、思うに崩落地側は当時は尾根筋であり界標が有ったであったが崩れたようにも考察出来る、残念。
温泉岳下の平らな樹林の中もGPSにより県境をたどったが、界標らしき人工物は見つけられなかった、しかし踏跡は行く筋もある樹林中に必ずある筈と信じている。
樹林の真ん中に付いた踏跡は登山道になり、県境ライン手前付近から温泉岳山頂に向う、傾斜はそれ程ではなく、道から離れ探し歩くが界標は無い。 以前歩いた時には、踏跡も薄く苔むした倒木を乗り越えた思いがあるが、現在は明るい樹林で苔生すといった感じは無くなっていた。 温泉岳への最終章はなだらかなやさしい山である、いつもそんな感じがする山だ、程なく山頂に着いた。 |

「 宮 界甲五二八
|

下野國 上野国 」 の刻字
|
【温泉岳山頂付近】
七年前の雰囲気と少し違っていたのは山頂の平らな所が広くなっていた、御料局三角点まで笹が有ったように思ったが現在は標石は中央に出てきている。 山頂からは新設された念仏避難小屋が高みに作られはっきりと見れる。 山頂からの眺望は群馬側はあまり無いが太郎山から燧ヶ岳までの遠望は得られる、平ヶ岳や会津駒、台倉高山、帝釈山など山並みは遥かだ。 ブリキの「達筆」は端が欠けているが奥のシラビソに未だ健在であった。 3Dは無かった。
御料局三角点標石のH3の白ペンキは薄くなっていたが健在だ、しかし標石は少し傾いているように見えた。 国土地理院の三等点標石(参謀本部陸地測量部設置)は健在である。
|

温泉ヶ岳 「三等三角点」 国地院 |

温泉ヶ岳 「御料局三角点」 帝室林野局 |
【山頂直下に大穴があった、古書にも注意書】
温泉ヶ岳(ゆぜんヶだけ)の東斜面に穴があった。 日光修験の夏峯行の道は温泉ヶ岳を通っていた。
『夏峯行者の私記「補陀洛順峯入峯次第」によると、「温泉ノ獄へ参後夜ノ勤アリ 夫ヨリ駈レハ頂上ニ穴アリサヽノ中也 可用心」の記述書あり、大永七年丁卯(1527)に入峯のことを享禄四辛卯閏年五月(1531)慶住房清応が書した。 元禄五年円音坊宥景により書き写された。』であります。
出典及び情報 :「日光市史、資料編中巻」P999上段 / @宇都宮氏
この穴の存在が書かれた時期は戦国時代で織田信長の生誕(1534)以前ですから、480年以上も前の事でそのままの形で穴は残り時が流れその存在を今知る事は感慨深いものがある。
【転落危険情報】 本件、日光市観光協会へ連絡しました。09.08.24
温泉岳東斜面に大穴があり、転落の危険があります。
場 所
・温泉ヶ岳山頂からの東斜面の踏跡を約10〜15m下った地点に、大木ありその横に危険大穴あり
・ 緯度経度 36. 49. 28.5 139. 24. 15.5 (GARMIN 60cs簡易計測による)
・周囲の斜面は一面の笹原で頂上から勢いよく、下を見ずに下ったら転落と思うと、ゾーとする。
穴の大きさ
・直 径 約 2.5m、 深さ不明(見た目では3メートルまで確認、それ以下は暗くて底は確認出来ず。
(確保できず、深さ測定は出来なかった))
* この日、山頂から東斜面を下る途中で穴を見る。(笹の中に大穴、直ぐに危険と感じる)
大木までは薄い踏跡があったので、一般の方や単独者が下ると転落の危険がある。
(GPS地図参照、赤丸が大穴の位置です。)
* 09.09.05.再び、この古穴の調査しました。 こちら>>
【装 備】
ザック(ペットボトル500ml 4本・パン3個)、雨具、ヘッドライト、小道具(小スコップ、ハサミ、ブラシ、メジャー、アルミ棒、布切れ、テープ)、GPS 2台、地形図(1/2.5万図、林野図、日光修験夏峰ルート図ほか)、カメラ(ニコンD90)、携帯電話・ドコモ、ボイスレコーダ、ラジオ、電池
【コースのタイム】
金精トンネル口駐車場( 7:00)−金精峠(7:30)−<「界甲四八〇」・界標探索>−温泉岳分岐(8:40)−−温泉岳・御料局三角点標石(8:50-9:30)−穴遭遇−<界標探索>−念仏避難小屋手前尾根(10:30)・「界甲五二八」(8:50)−<界標探索>−尾根標高2270m峰(10:50)反転戻り−温泉岳分岐(11:50)−<昼食・界標探索>−金精峠・社(13:40)−金精トンネル口駐車場(14:05) |