塩原御料地 御料局三角点・界標(宮境界石)

  
御料局三角點             界標・界五四             ×固着岩石

栃木県塩原には、塩原第一御料地、塩原第二御料地があった。 塩原第一御料地は、元の御用邸地であり、 
現在の国立視力障害センターの場所である。 塩原第二御料地は御用邸の箒川対岸で前山(紅葉山)尾根で、 
塩原温泉ビジターセンターのある前山一帯である。 御用邸の景観の為の塩原第二御料地であったようだ。 
塩原第二御料地には、御料局三角点點、測点、境界点、界標(石標)、固着岩石(自然石の×を刻字)
など当時の測量や標石遺産が存在する。


塩原第 一 御 料 地

「宮 界標」・御用邸地(現:国立視力障害センター) こちら>> 

塩原第 二 御 料 地

「御料局三角點・測点」・国地院「塩ノ湯」三角点付近 こちら>>

「宮 界標」・ビジターセンター 〜 測点・境界点標石 こちら>>

「宮 界標」御料局境界点標石 〜 不動の湯上部尾根付近
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「宮 界標・固着岩石」・仙人橋 医師会病院付近 こちら>>

「固着岩石」七つ岩吊橋・箒川・塩原温泉ビジターセンター周辺
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参 考 資 料

塩原御料地、三角点・界標・その他の標石 一覧表 こちら>>

塩原御料地にある「海軍用地」と「山」標石  こちら>>


御 料 地 測 量 参 考 文 献

かつて幕府の領地は御料地、皇室の領地は禁裏御料所などと呼ばれていましたが1885年(明治18)宮内省に皇室の所有地を管理する御料局がおかれ皇室の領地は御料地と公称され1889年(明治22)からは官林の一部が御料林として編入されることになりました。御料地には皇宮など皇室が直接所要する第一類御料地と収益事業用の第二類御料地があり御料林は後者に属します。御料林の大部分は1889〜90年(明治22、23)に官林を移管されたものでしたが、境界や面積が不正確であったため御料地の事業計画に先立ち境界を査定し測量により面積の確定を行いました。初期の測量は困難を極め測量作業に従事中、絶壁から墜落死亡された殉職者も少なくありません。[農林大臣官房総務課:農林行政史 第五巻下 農林協会 1963 p1179][帝室林野局:帝室林野局五十年史 1939 p231]

御料地は近傍にある陸地測量部の一、二等三角点を基準とした三角測量により境界測量の基点を設定することが多かったのですが御料地内に三等三角点が既存の場合は、その成果(経緯度)と距離によって基点を定めました。御料局の標石は1894年(明治27)に定められた御料地測量規程(御料局長達第一二一七號)で寸法、形状が決まっています。三角点は一辺が12〜15センチメートル、高さ約75センチメートルの角柱で上面は隅切り、×の刻印があり5分の4を地下に埋めます。標石にかえ地中標や自然石を使用する場合もありました。「本點」(三等)のほかに「副點」(四等)があり標石の場合「御料局三角點」の刻字があります。三角点が不足する場合には「補点」を設けました。また三角測量によらず多角測量による「細形測量」の場合は「御料局測點」の刻字があります。御料局三角点には規程で定まっていないケースも多く「本點」には二等もあり東北地方では見つかっています。また刻字も表に「御料局」裏に「三角點」とあるものや字体が異なるもの、上面の×印が+印などあります。[御料局:御料地測量規程 第一二一七號 1894 大阪市立中央図書館蔵]

このほか宮三角点という刻字のある標石があります。「宮」のウ冠は広く丸みを帯びており宮内省を意味します。御料局が1908年(明治41)に帝室林野管理局と改称され、この機会に「御料局三角點」から「宮三角點」に変更されたました。境界標石にも「宮」が刻印されたものがありますが、これは「宮三角點」よりも以前からつかわれています。[御料局:御料地三角點石標ヘ彫刻スル文字ノ件 第一二一九號 長官ヘ伺定 1909]


 出典 上西勝也様 「三角点探訪 ・森林測量 ・山林局と御料局の三角点」より

 出典 [帝室林野局 帝室林野局五十年史 1939] 及び [塩那森林管理署 塩原御料林史 2004]、
     [上條武:孤高の道しるべ 1983] 山部蔵書

 情報提供 塩原温泉ビジターセンター・細井様

* 標石の設置場所は急俊な岩尾根や沢や崩落地も含まれておりますのでご注意ください。 *

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  2009.3.28 山部薮人